教科書 抹殺
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●日本の歴史教科書問題
戦前 日中間の歴史教科書問題は、第二次世界大戦以前にも存在し、1914年(大正3年)9月13日、東京日日新聞「支那政府に厳談せよ」記事で、中国の反日的な教科書に対する抗議を主張したことをきっかけに、日中両国が互いに相手の教科書を問題として外交問題になった。
戦後
家永教科書裁判 詳細は「家永教科書裁判」を参照 1962年、家永三郎らによって執筆された高等学校日本史用の教科書『新日本史』(三省堂)が教科用図書検定で不合格とされ、実際に日本国内の高等学校で使われることはなかった。
家永三郎は「教科用図書検定は検閲に当たり、憲法違反である」として3回にわたって日本国などに対して裁判を起こす。
第1次と第3次の訴訟では、一部家永側の主張が認められ、国の裁量に行きすぎがあったとされたものの、家永の主張の大半は退けられ、日本国憲法下において教科用図書検定は制度として合憲・適法とされた。
教科用図書検定について争われた裁判には、ほかに例が少なく、判決理由として示された事項は、現代社会における教育裁判でも参考にされる。
第一次教科書問題 詳細は「第一次教科書問題」を参照 各新聞の1982年(昭和57年)6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が「華北に『侵略』」とあったのが、文部省(現在の文部科学省)の検定で「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられた」と報道され、日本と中国、韓国との間で外交問題に発展した。
これは第一次教科書問題といわれる。
当初は大きな問題として扱われていたわけではないが、7月20日前後から「歴史教科書改ざん」キャンペーンが展開され、7月26日に中国政府から日本政府に正式に抗議が行われた。
この問題に関連して、小川平二文部大臣が「外交問題といっても、内政問題である」などの発言をし、松野幸泰国土庁長官が「韓国の歴史教科書にも誤りがある」「日韓併合でも、韓国は日本が侵略したことになっているようだが、韓国の当時の国内情勢などもあり、どちらが正しいかわからない」と発言をしたことから、韓国からも強い反発も招き、韓国の『東亜日報』は21日のトップ記事で侵略美化を憂慮する報道をした。
この問題を解決するため、8月26日に『「歴史教科書」に関する宮澤喜一内閣官房長官談話』が発表されたが、中国は「宮沢官房長官談話には満足しうる明確かつ具体的是正措置がなく、中国政府はこれに同意できない。」と回答、同日、小川文相が国会の教科用図書検定調査審議会への諮問に「隣接諸国との友好親善に配慮すべき」との一項目を加えることを表明したことで、9月9日に中国政府は「まだ暖昧ではっきりせず満足できない部分もあるが、これまでの説明に比べれば一歩前進したものであり、今後採られる具体的行動及びその効果を更に見守ってゆく」と了承し、韓国政府も「日本政府の 努力を多とする」と回答して、外交的には収束した。
文部科学省においては、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という近隣諸国条項の追加が談話と連動して行われ、文部省内は中国と韓国に関する教科書会社の記述は全て認め訂正は無しにせざるを得ないという雰囲気に陥った。
このとき文部官僚として条項導入を担当した加戸守行は、「一方の教科書会社側は『削れるものなら削ってみろ』という勢いで自虐史観の記述を強めていき、条項導入前より過激な内容になった」と当時の状況について述べている。
以後韓国では1983年6月に『中央日報』と『朝鮮日報』が、高校教科書検定の実態が明らかになると1984年6月に『朝鮮日報』が連載記事を掲載し、日本の教科書問題に関心を持ち続けるようになった。
なお、この問題のきっかけとなった報道は誤報であり、その原因は文部省の記者クラブの合同取材に拠るもので、一人の記者が勘違いした内容を取材に参加していた各メディアが一斉に報道したためであるという主張もある。
実際に、日中戦争で「進出」ではなく「侵入」「侵攻」への書き換え、「侵略」の削除や、東南アジアでは「進出」への書き換えがあったが、報道どおりの中国華北地域については文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせた例は無かった。
第二次教科書問題 「日本を守る国民会議(現:日本会議、以下「国民会議」)」編の高校用教科書『新編日本史』(原書房) を中国が批判。中曽根康弘首相が文部省に検討を要請し、5月27日に異例の再審議が行われた。
これは第二次教科書問題ともいわれる。
この『新編日本史』は「皇室への敬意を育む」「神話を通して建国を理解させる」などの方針に基いて編纂されており、天皇の人間宣言を掲載しないなど天皇中心の記述が多かった。
特に人間宣言非掲載については4回にわたる文部省との折衝の焦点となり、『新編日本史』を作成した国民会議側は「人間とか神格否定の語句だけは絶対入れたくない」と主張した。
こうしたさなか国民会議支援の懇談会が不二歌道会、新日本協議会など40数団体が集結して開かれ、政府・文部省に対する糾弾大会の開催が決定した。
結局『新編日本史』は検定に合格したものの昭和62年8月の締め切りで32校8900部に留まるなど採択率は低く、その理由として朝日新聞が批判記事を書いたことを「悪質な妨害活動」と神社新報は糾弾している。
なお一連の件について家永は「立場は違うが、検定で落とせとは口が裂けても言えない」と語り、教科書は自由発行・自由採択であるべきとの持論を述べた。
現在に至るまで 第一教科書問題を発端に、以降も90年代から2000年代にかけて歴史教科書問題は、歴史認識問題と連動してしばしば中国・韓国との外交問題となってきた。
中国・韓国の主張を記述する過度な配慮がある教科書が目立ち、中国・韓国が外交問題にする可能性がある部分には検定意見は付けないというように近隣諸国条項が呪縛になっている。
2001年に教科用図書検定に合格した『新しい歴史教科書』(扶桑社) は、中学校社会科の歴史教科書として新しい歴史教科書をつくる会によって執筆された。
この教科書は、大江健三郎等[40]17名によって、「検定申請本から「従軍慰安婦」「燼滅作戦」「731部隊」などへの言及が激減し、日本の朝鮮植民地支配や中国侵略を正当化している」と主張、「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」という要望書が公表されている。
2011年、沖縄県の八重山地区(石垣市、与那国町、竹富町)で、文部科学省が2002年8月に出した通知、「教科書制度の改善について」に基づく改革の実施に対し、「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社・育鵬社の中学歴史・公民教科書の採択反対を主張する勢力が、「つくる会」系教科書の採択のための改革と主張。改革に対するネガティブ・キャンペーンとしての教科書採択を巡る騒動へと発展した。当初、この騒動は歴史の教科書に重点が置かれていたが、育鵬社版の公民の教科書が採択されると、与那国島への自衛隊配備反対を主張する勢力も加わり、自衛隊配備に対するネガティヴ・キャンペーンとしての性質も帯びることとなった[要検証 – ノート]。
なお、この騒動は厳密には歴史教科書問題ではないが、前述の通り、「つくる会」系教科書反対派が当初、歴史教科書の採択反対に重点を置いたため、便宜上本項に分類する(八重山教科書問題)。
また、2014年3月から韓国で一部採択される教学社による教科書は日本の植民地支配が朝鮮半島を近代化させたと記述し、李承晩、朴正煕大統領を肯定的に扱い6・15南北共同宣言を批判的に扱っている点が歴史を歪曲するものとして騒動になった。
大学入学試験記述問題 2004年1月に行われた大学入試センター試験における世界史B第1問, 問5で、「日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」との選択肢が正答に設定されていたことに対して、ある受験者が「第二次大戦当時の言葉としてはなかった」と、採点からのこの問題の除外を求める仮処分申し立てを2004年2月に東京地方裁判所に起こした(2004/2/4 産経新聞)。
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